BALNIBARBI GROUP
バルニバービグループで食を通して「なりたい自分」を体現している仲間、「なりたい自分」を邁進している仲間、「なりたい自分」を見つけようとしている仲間のリアルな今の思いや、食に通ずる情報を発信していきます。
BALNIBARBI RECRUITING
BALNIBARBI GROUP
こんにちは! 研究員の鎌田です。今回は社名由来のお話。
バルニバービは1991年、有限会社バルニバービ総合研究所として誕生しました。その4年後の1995年、第1号店となる「アマーク・ド・パラディ」を大阪南船場にオープン。さらに3年後の1998年に株式会社バルニバービへ組織変更し、同年「カフェ ガーブ」、2000年には「モノクローム」「ガーブ ドレッシング」をオープンしました。2005年、「ガーブ ピンティーノ」で東京進出を果たし、現在70を超える店舗を企画・運営しています。社名「バルニバービ」に込められた思いとは?
ある日、佐藤社長(株式会社バルニバービ 代表取締役佐藤裕久社長)が貸してくださった1冊の本。
そう!ガリバー旅行記です。イギリスに住むご友人が送ってきてくださった本だそう。
こんな貴重なものを私なんぞに…。手が震えながらも丁重に読み始めます。
お気づきの方。察しがいいですね。
私が英文をスラスラ読めると思ったら大間違いですよ!
日本訳と並べながら読みました(結局ズルした)。
なぜ佐藤社長はガリバー旅行記を貸してくださったのか?
その答えはとっても簡単。バルニバービはガリバー旅行記から名付けられているからです。
バルニバービが出てくるのは第3篇、第4章。3度目の渡航中、海賊に襲われたガリバーが辿り着いた国の名前です。
ガリバー旅行記は風刺作家であるジョナサン・スウィフトによって1726年に出版されました。本の中でスウィフトは当時のイギリスからヨーロッパ周辺諸国、宗教のこと、果ては人間そのものまでを痛烈に批判しています。日本では主にガリバーが小人の国に漂流してしまう第1篇が絵本として出版されているためガリバー旅行記が全4篇からなる風刺小説だということを知っている人は少ないかもしれません。
では、具体的にバルニバービが出てくるお話、どんな内容なのでしょうか?
私鎌田、現代でも愛されるガリバー旅行記に敬意を表しながら超訳(まとめ)させていただきます。
①渡航中に海賊に襲われ、小舟に少量の食料を持って海に流される。無人島に流れ着く。
②空飛ぶ浮遊島ラピュータに助けを求める。
③ラピュータでバルニバービの国王と会う。
④バルニバービに降り立つ。
⑤研究所を回る。
⑥バルニバービを出る。
ラピュータはバルニバービの上空を飛ぶ島でバルニバービ国王のほか、バルニバービ上流階級の人間が住んでいます。彼らは「音楽」と「数学」のことで常に頭がいっぱいです。それこそ、会話中でも。話す相手もなく暇になってしまったガリバーはバルニバービに降り立ちます。
そこでガリバーが見たのは、荒れた大地と活気のない民でした。
原因はバルニバービのいたるところに国王が許可し設立された研究所にあることをガリバーは知ります。研究所では上流階級の人間に感化された科学者たちが新しく斬新な研究を行っていました。何倍もの速さで育つ作物や10人でやっていた仕事が1人でできるようになるといった夢のような研究。しかし成功する兆しはありません。研究のため枯れていく大地、採れない作物。実用性のない科学が招いたものは国の「貧困」でした。
第3章は物理化学者として有名なアイザック・ニュートンが所属していた科学学会である「王立協会」を批判していると言われています。ガリバー旅行記が執筆されている1720年代、ニュートンが研究していたのは「錬金術」。科学というには現実味のない研究でした。スウィフトは物語を通して「何の役にも立たない実用性のない科学」がいかに無用かということを伝えていると言われています。
佐藤社長は『苦楽しいカフェ開業物語 一杯のカフェの力を信じますか?(河出書房新社)』の中で、“地に足のついた企画を立てられる会社になろうと思った”と書いています。ガリバー旅行記のバルニバービを反面教師として、一つの教訓として社名に名付けたのです。
私たちには大事にしている言葉があります。それは「飲食を通してなりたい自分になる」です。
これからバルニバービワークスタイル研究所でも何度も出てくると思います。
「なりたい自分は何ですか?」と聞かれた時に、私たちバルニバービのスタッフ全員がはっきりと答えられるわけではありません。まだ探している途中のスタッフもたくさんいます。これからどんな自分になろうか、どんな自分だったら楽しいだろうか、どんな自分になれたら幸せだろうか。
佐藤社長は社内講習「佐藤塾」で幸せになる法則は「自分の好きなことで、得意なことで、社会の役に立つこと」を懸命にやることだと話しました。私は、その幸せの法則はまさにバルニバービの教訓だと思ったのです。ガリバー旅行記のバルニバービでは国民が誰の役にも立たないことを、自分の好きでもないことを毎日毎日やらされていました。そんな国では誰かの幸せも、自分の幸せを考える力さえ出てこないでしょう。ニュートンも同じです。彼にとって科学は好きなことで得意なことだったかもしれません。でも錬金術が未だ世界で社会の役に立っているとは考えにくい。
名は体をあらわすと言います。社名が教訓である会社はあまりないと思います。私たちは「なりたい自分」になるために今日を懸命に頑張る。そして問うのです。「社会の役に立っているか?」と、そんなに大きなことではないかもしれません。シンプルに「お客様を笑顔にできているか?」と問うのです。バルニバービの教訓を活かすために。
社名由来のお話いかがだったでしょうか? 実は、コーポレートサイトには佐藤社長が書かれた「The Naming of BALNIBARBI」が掲載されているのですが、今回私なりに少し深ぼってみました。
これから、このサイトではたくさんのスタッフが登場します。
バルニバービの教訓をどのように活かしているのか。記事を通してバルニバービという会社を知ってもらえたらと思います。
では、また次の記事で会いましょう!
この記事を書いた人 & 編集後記
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